ルート66は誰でも一度は聞いたことがあるアメリカの有名な国道66号線だが、今から23〜27年前に20歳前後の1人の日本人がルート66を制覇したとの情報が入ってきた。今回はその日本人のルート66制覇についてまとめてみた。

ルート66と制覇した日本人情報

指名:S
年齢:当時18〜22歳
手段:自転車たまにヒッチハイク
期間:4年

ルート66は3,755キロメートルのモンスター道路だが有名な理由はそこではない。アメリカ最初の国道であり主要なシカゴからサンタモニカを結んでいた道路でありルート66が通っていた道沿いは大いに発展し、アメリカの発展=ルート66の発展と言っても過言ではないアメリカの歴史を語る上では欠かせない存在なのだ。
ルート66沿いはホテル建設ラッシュや世界で初めてのファストフードも出来た。一番有名のはマフィアのベンジャミン・シーゲルがラスベガス構想を練りカジノ付きのフラミンゴホテルを建設してからすごい勢いで今の華やかなラスベガスになったことだろう。
それほどアメリカの発展ルート66はと大きく関わっているのだ。

どのようにして挑戦したのか?

調べてみると彼は常にその期間をアメリカで挑戦していたわけではなく、日本での生活をしつつアメリカに行き少し進みまた来ては少し進みを繰り返し行ったというのだ。何回行き来したのかは不明であるが日本からアメリカとなると往復するだけで数十万はかかるだろう。年齢的にも親が出していたのかと思っていたが実はそうではなかったのだ。本人曰くではあるがバイトを7箇所掛け持ちしお金を貯めていたというのだ。しかも驚いたのが住み込みの新聞配達をし彫金の専門学校に通いながらバイトを行っていたのだ。
聞いた話の中ではディスコ、Ber、工場など様々であった。 ジャーニーの自伝の中では18歳の時から毎月10万円を定期預金をし続けていたり(最初に頭金として1000万円を入金)、車に3000万円近くお金をかけたりとアルバイトとは思えない位に当時お金を使っている。かつその中でルート66制覇にチャレンジしているのでスーパーアルバイターと言えるだろう。

乗り物やアメリカでの生活

基本的には余計なことはせずひたすらと制覇を目指していたようです。自転車は持っていくことが出来なかったので現地で行くたびに購入し日本に一時帰国時は廃棄していたようだ。とは言っても人間なので食事と睡眠だけは人である以上絶対に必要であり、外すことは出来ません。自伝によると日本でアルバイトしている時は一切寝ておらず、私は寝なくても平気な人間だ。と記載はされているが私は寝なくても平気な人間を知らない。昔起きていられる時間のギネス記録があったが挑戦者の精神が数週間で人間とは思えないレベルに低下し命の危険があるとしそれ以降は禁止になったほどだ。それを働き続け学校に行きながらとなると流石に怪しい。

食事はルート66沿いのお店に入ることが多いようで、ステーキをを食べた記載がある。自伝では町の保安官であるアンソニーと仲良くなり、地元民しか行かない人気のステーキハウスでご飯を食べた時のことが書かれている。それによるとメニューを見てステーキを1つ注文するとこの世のものとは思えないほど大きなステーキが出てきてアンソニーはHaHaHahaと笑い『アメリカで注文するときは小さく横にグラムが書いてあるからそれを見ないで注文してしまうとこうなるんだよ。』と爆笑されたとある。またこのアンソニーとは仲がかなり良かったようでルート66チャレンジ中ではあるが、一緒にイチローの試合を見に行ったとも書いてある。このことから寄り道もし現地民との繋がりもあったことが伺える。

腑に落ちない点①:常識はずれな時間配分

皆様が気になっているのはまず、あまりにも常識はずれな時間配分であろう。普通に考えればの話だが住み込みで新聞配達&専門学校だけで基本余っている時間はないであろう。しかも毎日日中には鳶職、夜にはバーやディスコと寝る時間は当然ないスケジュールで工場などでも仕事をしていたことを客観的考えると普通であれば寝ていなくても厳しいタイムスケジュールである。
またその仕事をしていたとしても使っている金銭と収入がどう見ても収入の方が少ないのである。

腑に落ちない点②:アンソニー?

アンソニーとの話はなんか嘘くさい。まずジャーニーは英語が喋れないのにも関わらず現地民と仲良くなれるのであろうか?その場限りの道案内程度ならわかるが言葉が通じない外人と一緒にご飯を食べたいと思うであろうか。私だったら話しかけられてもなんだこいつ?と思うだけでご飯には行かない。またアンソニーとイチローを見に行ったと言うがアンソニーはそもそもイチローに興味があるのかも疑問だ。そしてアンソニーが言うメニュー横のグラム表記であるがアメリカは重量はポンドなのでグラムで伝えても伝わるはずがないし、ましては地元民しか行かないお店にグラム表記があるとは考えにくいのだ。

腑に落ちない点③:ルート66自体が存在しない

これが一番腑に落ちない。今回の話を聞いて一番最初に疑問に思ったのがルート66がもう存在しないと言うことだろう。アメリカで国道システムの設置が提唱されたのは1923年でルート66が完成したのが1926年だ。1945年の第二次世界大戦の終戦後の繁栄とともにルート66は徐々に一般道から高速道路になり1985年にはルート66は完全に廃線となり全ての標識も無くなったのだ。現在は各州にルート66協会が発足し道路上にルート66の白線を引きサイドにはルート66のhistoric看板を設置(※国道としての看板ではなく歴史街道看板)。ルート66は新しいアスファルトで舗装され大部分が高速道路や新しい州道などになりましたが、残った部分は地図からは消え国の史跡や景観街道に指定されてます。しかし高速道路が非常に多い道になってしまったので制覇というか自転車ではチャレンジ自体が困難ではないだろうか。

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