あなたは池袋と聞いてどんなイメージをお持ちでしょうか?サンシャイン水族館の天空のペンギンが有名だったり家電量販店が多かったりと家族で住みやすい街のイメージが多いと思います。しかし治安が良くなり住みやすくなったのはごくごく最近の事で、少し前まで池袋といえば不良が喧嘩を日々繰り広げていた抗争激戦区でした。抗争激戦区真っ只中の今から25〜6年前の池袋でその圧倒的な喧嘩の強さからほぼ全ての不良から恐れられた伝説のアウトロー『S氏』がインタビューに応じてくれました。
伝説の男S氏ついに現る
伝説のアウトローということもあり、インタビュアーKが緊張して待つこと5分。ドアノックと共にS氏が入ってきた。K『インタビューに応じて頂きありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします』 S氏『よろしく・・・。』
インタビューに慣れていないのかどこかぎこちない様子である。また更生し生活をしているのであろうか見た目は中年小太りで伝説のアウトローの面影は完全になくなっている。
K『まず初めに伺いたいのがなぜ今回対談インタビューをお引き受けしていただけたんでしょうか?』S氏『別に。たまたま暇だったんで』 更生した人は恥ずかしさ等からなかなか当時のことを語ってくれない傾向にあるがS氏は違うようだ。
K『今はどのような仕事についてるんですか?』 S氏『普通のどこにでもある仕事だよ。普通の。』流石に身バレしてしまう恐れもあるので詳しくは語ってくれなかった。 S氏『まぁ金は2億以上あるから働かなくてもいいんだけど一応ね』 となぜか自分の貯蓄金額も聞いていないのに教えてくれた。
S氏に当時の池袋を聞く
では本題の当時池袋のことを教えていただけますか?S氏は数秒時間をおきゆっくりと話し始めた。
池袋は当時「池袋ウエストゲートパーク」という長瀬智也主演ドラマがヒットしていて、このドラマは数多くの不良やカラーギャングを描いているドラマだったことから池袋は西口が危険と思われがちだが、本当に危ないのは東口で私も池袋イーストゲートパークに集まっていたんですから。
当時私も20歳前後で住んでいたのは西日暮里だったんですが喧嘩のため毎日のように池袋に行っていました。当時は喧嘩をするため私のような人間が池袋には多くいましたので一日中喧嘩してましたね。ただ強すぎて有名になってからは私を見て逃げる奴らが増えてきてしまったので少し悲しかったです。
K『でも歩いて出会っても普通なら喧嘩にはならないんじゃ・・・。』
S氏が喧嘩になるまでの流れを解説してくれた。
まず不良がいたらとりあえずガン飛ばして威嚇します。相手がボンタン折り畳んだり後ろ向いたりしたら相手の戦意がないので不戦勝です。私は学生服のやつ限定でガン飛ばしまくってたのでボンタン折り畳むやつ多かったですね。
もし相手もガン飛ばしてきたらそこから5分間くらいはガンの飛ばし合いで勝負です。相手が引かない場合は喧嘩をするのかの確認に入ります。もし相手が今日は用事がとか体調がとか言ってたらリリースです。相手も『やってやんよ』となってから学校や名前の自己紹介をし全ての了承が得られれば裏に行って喧嘩が始まります。 K『意外と礼儀正しいんですね』 S『不良の中にも礼儀はあります』
K『じゃ〜やっぱタイマンなんですか?』 S氏『相手によっては卑怯な相手もいて複数人で囲まれたり、武器使ってきたり様々ですね。かく言う私もナイフで刺されましたからね。』
ナイフで刺傷したS氏の伝説の喧嘩
S氏はおもむろに刺された傷を見せてきた。そこには1cm位の生々しい傷跡があった。
※画像はイメージ
S氏は自分から語りたかったのか自慢げに話し始めた。 『これは喧嘩といいつつ裏に行ったら相手が6人で待ち構えた時のことです。タイマンかと思ったら6人いたんです。しかも全員凶器持ち。 相手も名の知れたギャングだったんですがまぁ6人ごとき素手では私に勝てないのが分かってたんでしょうね。』 S氏は笑顔で流暢に気持ちよさそうに話している。
『ずっと避けていたのですが6人のうちの1人が私の急所をナイフで刺そうと突進してきて思わず反射的に腕でガードしてしまったんです。 もろに腕をナイフで刺されてしまいました。』 普通ならこの時点で喧嘩の勝敗は決しているが伝説のアウトローS氏はここからがすごかった。
『刺された時久しぶりに私もキレてしまいまして・・・。刺された瞬間から意識がないんですよ。気づいた時には警察官数人に取り押さえられてこれ以上やったら相手が死んでしまうからやめろ!君が悪くないことはわかってるけどこれ以上は過剰防衛になる。って言われ周りを見たら6人全員複雑骨折で血だらけですよ。 まぁ私をキレさせたので仕方ないんですけどね。』
インタビュアーKは長年アウトローインタビューを務めてきているがここまでやばい不良は初めてだった。刺されてからキレて意識を失い相手をベコベコにしてしまうのは漫画「特攻の拓」の武丸くらいだと思っていた。
K『聞く限り最強ですが今までどのくらい喧嘩をしてきて勝率はどのくらいなのでしょうか?』
S氏『覚えてないですね。毎日が喧嘩の日々なので数えるのも途中でやめたし、そんなことのに時間をかけるくらいなら更に強くなるための修行に時間をかけます。 また勝率ということですが基本私が勝つんですが、今までで1回だけ負けたことがあります。 相手は現在も極真空手の支部長をやっている男なんですが20歳前後にしてはかなりガタイも良く、私も流石に中国拳法を使おうか悩んだくらい強かったですよね。』
K『中国拳法を使えば勝てたってことですか?』
S氏は笑いながらではあるものの恐ろしいことを話しはじめた。
『いやいや私が中国拳法を使っていれば間違いなくその極真空手の支部長は今生きてないですからね。私がやっているのは太極拳ですが、みんな太極拳と聞くと公園で健康のためにやっているやつを想像しますよね?あれは柔拳W 私がやっているのは剛拳で人を殺すための拳法です。 突きはただ痛いだけではなく1ヶ月後や1年後に狙って心臓を止めることが可能で、もし避けとうと思っても私の踏み込みは1歩で6間の距離を一瞬で詰めるのでプロボクサーだろうと避けれません。ちなみに中国拳法の距離は間で測るんですが1間は訳2メートルです。なので相手は何されたかもわからないままあの世行きになるでしょうね』
※間はWikipediaでは中国には無い単位との記載がある
S氏が不良になった理由に迫る
S氏は当時の池袋の頂点に君臨していたわけですが、いつから不良になってしまったのか。生まれた時から不良なんて人は絶対にいませんし、何かの出来事があって不良になったのか?それても複雑な家庭環境とかが理由なんでしょうか? S氏に聞いてみた。
S氏『私は元々はスポーツマンだったんですよ。小学校では水泳の指定強化選手でしたし、中学ではバスケットボールで都の選抜にも選ばれたし運動神経がすば抜けてよかったんです。スポーツテストとか垂直跳び130センチ飛んで話題にもなりました。 でも中学2年生の時にバスケ部でムカつく先輩がいたんですよね。何を言われたかはもう覚えていないですけど気づいたら顔を思い切り殴っていて誰か分からない位に顔ボコボコにしてました。中学生なんでボコボコ顔の先輩が泣きやがったんで爆笑してやりましたよ。そこから私は不良をやり出したんですよね。ただ礼儀もなにも知らない頭の悪い不良にはなりたくなかったんで、何事にも礼儀を弁えるように常に意識はしてました』
K『相手の顔ボコボコにして泣いたのを爆笑・・・礼儀とはどのようなことなのでしょうか?』
S氏『・・・。』
S氏『でもそこからは忙しかったですね。毎日他の学校からご指名で何人も何人も喧嘩しにくるんですよ。ボコボコにしようが性懲りも無く、また来て喧嘩しての繰り返しw 私の中学は私しか不良がいないのに対し近くの西3中は不良ばっかりですからね。 そういう喧嘩ばかりしていたから周りから恐れられてだんだん伝説になっていったんでしょうね。』
最後にS氏にとって喧嘩とは
S氏『最高の刺激ですかね。この刺激がないとSがSじゃないというか、喧嘩があったから今のSがあるんです。 そんなことはありえませんけどもし今中学生に戻ってもまた不良になり喧嘩をして新しい伝説を作っちゃうと思います。』
今回は池袋伝説のアウトローS氏に独占インタビューをお届けいたしました。
本サイトではまだまだ刺激のある情報を視聴者に届けていきますので次回をお楽しみに!